2009年03月29日

Thin Line Between Love and Hate/ロードー・シェアリング



金剛山金乗院平間寺(へいけんじ)に行って参りました。えっ、どこかって。川崎大師の事です。

昔、昔のその昔。無実の罪で尾張を追われ、川崎に流れ着いた平間兼豊・兼乗
("豊"に"乗"って、トヨタ?)という武士の親子が貧しい漁師として暮らしていました。
兼乗はとても信心深く、特に弘法大師さまを崇信しておりました。
ある夜のお告げの通り、翌朝直ちに海に出て、光り輝いている所(そこが今の夜光町)
に網を投じると‥…(スライドにつづく)



諸国遊化の途中、兼乗の元に立ち寄った高野山の尊賢上人、その行いに感泣し
2人で力を合わせて大冶3年(1128)に一寺を建立しました。これが大本山川崎大師平間寺の
はじまりです。



この信仰のおかげで晴天白日の身となった兼乗は、晴れて再び尾張の国へ帰任しました。

そう、信じる者は救われる。でもそれだけじゃないですよね。尊賢上人との出会い。
これが大きかった。
そしてそれをモノに出来たのは、兼乗の日頃の行い。それによって生まれた信頼により
寺を建立するという苦労を2人で分かち合う事が、今の言葉でいえばシェアリング、出来た。
(この辺りから、ボクの話は再び逸れていきます。)
シェアって言葉は、サイクリストにとっては、シェア・ザ・ロードでお馴染みですが
最近、違う場面でも耳にするようになりましたね。派遣切り、雇い止めときて
まるで救いのお経のように。[ワークシェアリング] ブログ村キーワード
シェアが先か?信頼が先か?難しい問題です。無垢な心で信じられた兼乗ならまだしも
ボクらは汚れちゃってますからね。
それにこの言葉、降って沸いた訳じゃなくて、相当前からありますから
その間にしっかり議論されたのかな?とか、誰と誰が(個人としての誰じゃなく)シェアするとか
(大田区の町工場はその昔から、真のワークシェアリング、仲間回しっていいますけど、してますし。
WEDGE最新号参照)
フレキシキュリティって、やり方だってあるじゃんとか。
フレキシキュリティは増税を生むでしょうけど
減った所得−減税された所得税=今の所得−増税 かも知れないし、減税っていう対処療法だけだと
結局、将来に、今のこども達の時代にツケを払わせることになるから
そろそろ抜本的改革が必要かと
今の時代の信頼は、異なる意見であってもしっかりと議論を重ねる事で生まれるんじゃないかと
だって公園で遊ぶこども達の笑顔いつまでも見ていたいですよね。



愛と憎しみの間で揺れる信頼じゃなく、本物の信頼を築きたいですね。
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posted by Johnan 城南 Rotten at 03:05| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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