2009年08月13日

Cyclelane Over Towns/フタリジャン・イノー&デッキミノ・バーン



前回の記事で、散々、“今度はそれを自転車でどうですか?”って書いてたら、丸の内で10月〜12月の間
サイクルシェアリングが、試験的導入されるそうで
東京・丸の内に公共自転車、CO2削減へ実験 - YOMIURI ONLINE
シェアの前に、何処を走るの?ってツッコミは、当然あるものの、ここはひと先ず
良い結果が出る事を祈りましょう。



そういう事なら、早速、丸の内へ、と行きたいところですが
Riverside Cyclists Succession シリーズ第3弾は
自転車で行ける身近な場所 何て事はない日常的な風景 でも自分にとっては、特別   
それが、近界遺産 ー The Roadside Heritage ー と告知の通りなんで、その前に総集編として
シリーズ第1弾 目黒川編 ー Black Eyed River Soul ー
(すみません。このタイトル、今、思い付きました。)と
シリーズ第2弾 芝浦運河編 ー Tower To The Cyclists ー
(あれ、芝浦イダー・ストロ運河って、タイトルだったはず。でも、まあ、良いか。目黒川編との
統一感もあるし。)の2つのエリアを一気に繋げてみました。先ずはマップをご覧ください。



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コースは、大まかに、目黒川船入場〜東京タワー/東京タワー〜八ッ山通り/八ッ山通り〜
大崎光の滝公園の3つのパートに分かれていて、序盤は、恵比寿ガーデンプレイスと
有栖川宮記念公園という、コンテンポラリーとクラッシックなスポットを
坂のアップ&ダウンを交えながら、楽しんで頂こうという趣向です。

新旧っていうと、ついつい、コンタドールとランスの対決を連想しちゃいます。
結局、ランスは自身のチーム“レディオシャック”結成。
コンタドールも契約更新せず、新チームって噂ですから、これで本当にヴィノクロフが
アスタナに復帰したら、アンディやクルージーガーら若手の台頭もあり
群雄割拠のツール戦国時代到来、なんて事になるかも知れませんよ。



戦乱の世を制し、天下人となったのは、豊臣秀吉、そして徳川家康であるものの
天下を取れなかったとはいえ、サバイバルして、加賀百万石の藩祖となった、前田利家や
これまた、実高は百万石といわれる仙台藩を築いた、伊達政宗。どうもそちらに魅力を感じ
ちゃったりもします。でその仙台藩の下屋敷があった事から、その名が付いた仙台坂や
他にもいくつか武家屋敷から、名前が付けられた坂が多くあるのが、コース序盤のひとつの特徴です。
スライドショーでご確認下さい。

戦いを生き抜くためには、武力のみならず、流れを読み、誰と組むか、知略も必要ですね。
政宗にいたっては、エスパーニャとの通商(太平洋貿易)を目指し、家康の承認を得て
家臣の支倉常長らを慶長遣欧使節として派遣したりもしています。そこには貿易の利潤以外にも
幕府にプレッシャーをかける軍事同盟の狙いもあったりとかして
それは恰も、グレッグ・レモンとベルナール・イノーのようでもあります。



86年のツール第18ステージ、3位のイノーが仕掛けると、2位につけていたジンマーマンが
マークに動くも、後ろにぴったりとマイヨ・ジョーヌのレモンに付かれて、身動きが取れず
そうこうしているうちにレモンがアタック!結局、ジンマーマンは逆転不可能な3位転落。
マイヨ・ジョーヌ、キープと2位浮上の2人は、肩をたたき合いながら、ラルプ・デュエズにゴール!
って、2人は元々同じチームで、協力するも何も当たり前っちゃあ、当たり前なんですけどね。
それににイノーは前の年、「来年はレモンに勝たせる。」って言ってたはずなんで…
なのに、なのに、それなのに攻撃を仕掛ける様に、何度もアタックしちゃったりして
それはやっぱり、6度目の総合優勝を欲したからなのか?それともマイヨ・ジョーヌを守る
プレッシャーを身をもって、教えたかったのか?真実は本人のみぞ知るですが
結果的に、2人の間にコンタドールとランス同様、決して埋まらぬ溝をつくってしまいました。
苛酷なレースを超え掴む栄誉ゆえ、尚更の事、“両雄並び立たず”になってしまうんでしょうか?

でこの中盤の“両雄”といえば、東京タワーとレインボー・ブリッジ。直線距離で2.6 km。
歩くのはちょっとな、って感じですが、はい、自転車があれば大丈夫。何て事はない距離です。
時に“両雄”を引き裂く自転車も、時には“両雄を並び立たせる”って訳ですね。
ところで、東京タワーの足元の芝公園。こちらにイノーの記念碑があるんですよ。
ってイノーはイノーでも、伊能忠敬の測地遺功表なんですけど…すみません。


私財を投じて始めた事が、その正確さ故に、これはイケると踏んだ幕府からもかなりの支援を受け
国家事業になっていきましたが、その裏には、薩摩藩偵察の意図もあったとか。
その忠敬が測量をの旅を終えたのは、文化12年(1815)2月19日、八丁堀。
15年以上かけて歩いた距離は、実に40000km。って地球1周!
しかし、忠敬が測量・天文観測を学び始めたのは、50歳で家督を長男景敬に譲った後だったので
その時、既に70歳。測量値を地図にする作業に入ったところ、文化15年(1818)完成を待たずして
73歳で病没してしまいました。しかし弟子達が“伊能忠敬が作ったもの”と世間に知らしめるため
彼の死を伏せて、文政4年(1821)に日本最初の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」を
完成させました。喪が公表されたのは、その3ヶ月後だったそうです。
でその忠敬も通ったであろう(旧)東海道。それが、コース終盤にございます。



丸の内でのサイクルシェアリングの試験的導入まで、もう2ヵ月切ってますね。
10月っていったら、自転車で出掛けるのに、ちょうど良い時期だし、本当の事を言えば
ビジネス街じゃなくて、もっと見どころのある所でやって欲しいなって、気持ちはあるんですけどね。
芝浦辺りなんて、言うまでもなく、言っておきますが、最適だと思いますよ。
そのつもりになれば、エアテラスからアーバンランチに、自転車のまま乗船して、お台場へ
ってのもありですから。まあ、イキナリ、そこまでの話になっちゃうと無理もあるんでしょうが。
今は、このテストが上手くいく事を願って止みません。
自転車が社会、というより生活に、深く浸透していくには、何よりも先ず安全に走れる道が
必要な事は間違いありません。今回のコース選定においても、その点を重視し
グリーンマップ等を参考にさせてもらいました。
それでも道路状況はその日その時で、変わるでしょうから、早く自転車レーンが出来て
“車両並び走らず”って状況になってくれると良いんですが


まだマトモなレーンがない現状で、グリーンマップ等を使いながら情報を共有して行く事は
大切なだと思います。測量ではありませんが、伊能忠敬的な行為と言ったら……
それはさすがに言い過ぎですね。すみません。



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posted by Johnan 城南 Rotten at 11:55| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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